At the end of the day vol.11 | When the world loses a poet

第十一夜: 世界が詩人を失うとき

「私たちが人生に意味を問う前に、人生が私たちに意味を問いかけている」

ヴィクトール・エミール・フランクル

谷川俊太郎さんが亡くなった。

世界が詩人を失うこと——それは、炭鉱のカナリアを失うことに近い。

詩人は、私たちがまだ感じ取ることのできないものを見て、聴き、感じ、 それらを独自の言語で世界に差し出す。

詩人は、取るに足らないと思われていたものに美しさを見出し、わたしたちに世界の在り方を気づかせてくれる。そしてその在り方は、わかりやすい形では測ることができない。

歩く速度を少し緩めること。

季節の訪れを感じること。

なんとなく夕暮れを眺めること。

鼻歌をうたうこと。

耳を澄ますこと。

雨の匂いを嗅ぐこと。

あるいは行き過ぎた何かを止めること。

詩人の助けなしに、わたしはこれらのことをなすことはできただろうか。

谷川俊太郎の「朝のリレー」という詩を、今でも折に触れて読み返す。異なる背景を持つ他者への想像力を、地球規模のスケールで描いたこの詩は優しく、そして美しい。読み終えたあとに世界がほんの少しだけ違って見えるのだ。

だとすれば、詩人を失うことは、世界の眺め方を、世界とのコミュニケーション手段を——もっと言えば、世界の一部を——失うことなのだ。

K





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