“The line I trace with my feet walking to the museum is more important and more beautiful than the lines I find there hung up on the walls.”
-Friedensreich Hundertwasser
“美術館へと向かう足跡が描く線は、美術館の壁に掛けられた絵の線よりも大切で美しい。”
-フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー
忘れられない思い出は、誰にでもある。わたしの場合、その思い出に割と高い頻度で本が登場する。
イギリスで暮らしていた頃、友人が 「君は本が好きだろうから」と言葉を添えて、誕生日に本をプレゼントしてくれたことを今でも思い出す。
それまで本は読むものだと思っていた。だが友人は、本はプレゼントしてもいいものだと教えてくれたのだった。
そうしてわたしはDostoevskyの“The Idiot”と出会った。生まれ育った文化圏によって本の選び方も変わる。「素晴らしい本だよ」そう言った友人の母語はロシア語だった。
わたしが嬉しかったことが2つある。1つはわたしのために時間を割いて本を選んでくれたこと。2つめはわたしが本好きだということを見抜いていたこと。
その後、国を跨いだ引越しや移動を繰り返し、いつしかその本はどこかへ行ってしまった。けれど友人のプレゼントにまつわる温かい気持ちはいまだに胸に残っている。
*
思えば、こんなこともあった。ロンドンの学校に通っていたある日、何の気なしに先生にオススメの本を聞くと、彼は机の上に乱雑に置いてあった本をわたしに差し出してこう言った。
「この本、すごく面白かったからをあげるよ。ちょうど最近、読み終えたんだ。」

Vladimir Nabokovの“despair”だった。読み終えた本を軽やかに、そして迷いなく手放していくその心持ちに驚いたことを覚えている。思ってもみなかった形でわたしのところにやってきたこの小説は、幸いまだ手元にある。
こうして本は旅をする、作者以外の思いをのせて。
小説の内容も大切なのだけれど、その本が「どういう経緯でわたしの手元にやってきたか」ということの方が、いつまでも心に残り続けている。

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