第一夜: 書くことと読むことの間で
Between what I see and what I say,
Between what I say and what I keep silent,
Between what I keep silent and what I dream,
Between what I dream and what I forget:
poetry.Octavio Paz (1914-1998)「Between What I See and What I Say…」 (1976) from「A Tree Within」
ぼくが言うことと黙っておくことの間に、
ぼくが黙っておくことと夢みることの間に、
ぼくが夢みることと忘れることの間に、
—— 詩
オクタビオ・パス「ぼくに見えるものと言うことの間に」,「内なる木」より
わたしは書くことと読むことの間で、日々と出会いなおしている。そんな感覚を持つことが少なくない。
日記という形で些細なこと、小さな感情の揺らぎ、目に映るさまざまな移ろいをわたしは書き留める。それらを確かにあったこととして。
そんな気配のように儚いものたちを、本の中に見出すことがある。例えば自分に似た誰かや、いつか見た風景を。あるいはこれまで味わったことのない感情とその名前を。
本を通じてわたしと作家の人生 ー あるいは創作物 ー が交差したり、すれ違ったりする。わたしにとってこれが読むということなのだ。
そうした時間を過ごす時、わたしは読むことと書くことの間で、日々を、自分を、世界を見つめ直していると感じる。
ピアニストの高橋悠治は書くことについて、次のように語った。

自分用のノートがある。本からの抜き書き、音やリズムの思いつきにそえたメモ、演奏のしかたについての走り書きなど。 ノートは最後のページまで使うことはなく、途中で放棄する。
何年かたつと、別なノートにまた、おなじようなことを書く。ここには蓄積がない。わずかな思いつきの変奏があるばかりだ。本からとった他人のことばも、姿を変え、意味を変えて、別なものになっていく。
このノートは方法論のためだと、ずっと思っていた。だが、目標や方法を信じなくなったあとでも、やはりノートはつづく。そこで、気がついた。これは、音楽の前の、朝の祈りのようなものだった
高橋悠治「カフカ / 夜の時間」
ノートを用いて独り静かに一日を振り返る時間は — 彼の言葉を借りて言えば — 夜の祈りのようなものなのかもしれない。成長を信じなくなった今でも、彼と同じくノートは続いている。たとえそこに「蓄積」はなく「思いつきの変奏」に過ぎなくとも。
今日もわたしはノートを開き、自分の中で生じた時間の流れ、景色を書きとめる。揺れる気持ちを落ち着ける錨のようなものとして。
これらを経て、ようやくわたしは本を開く。そして時空を超える旅に出る。無限に思える広がりを持った世界へと。
*
本とノートを行き来するうちに、読書記録が生まれていった。それは意味づけや忘備録のためだと思っていた。しかしノートの内容を読み返してみると、もういなくなってしまった自分からのメッセージのようなものとして読める瞬間がある。
しだいに読書記録はこれまでと違った姿を見せ始める。それは未来の自分に宛てた手紙であり、自分をそして自分の現在地を照射する光のように。
いまや、読むことと書くことの往復は、呼吸によって伸縮を繰り返す肺の働きのように、生きるうえで欠かせないものになっている。
わたしはそれを、ささやかな日々の大きな喜びとして生きている。
一日の終わりに。
K

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