第七夜: 旅と本
たった二週間の滞在だが、ウィーンには特別な愛着ができたし、会いたい人や戻るべき場所を見つけ、土地勘も身体に染み込んだ。そのような場所がこの広い世界に一つでもあると言うことは、なんだか幸せではないか。 世界地図を見たときに、僕はきっとウィーンに目をやって、この夏のことを思い出すだろう。
石川直樹「全ての装備を知恵に置き換えること」(2019)
どんな環境で本を読むかは、人それぞれだ。
ザワザワするカフェで本を読む人もいれば、静かな場所でしか読めない人もいるかもしれない。電車の中で本を読む人もいれば、ひとり公園で本を読む人もいる。
わたしはおもに移動中に本を読むことが多く、それを好んでもいる。読書に没頭しているとあっという間に目的地についてしまう。移動と読書におけるこの関係は大変ありがたいと思っている。そんなこともあって行き先と本の記憶が強く太く結びつくことがある。例えば次の作品と土地が結びついている。

エジプト、カイロのホテルで読んだサン=テグジュペリ の「夜間飛行」。
スペイン、マドリッドのエル・レティーロ公園で読んだ司馬遼太郎「二十一世紀に生きる君たちへ」。
ボスニア・ヘルツェゴビナ、サラエヴォのとある公園の日陰で読んだパウル・ツェランの詩集。
チェコ、プラハの移動中に読んだHaruki Murakami「South of the Border, West of the Sun」。
サウジアラビア、ジッダの友人の家とトランジットで読んだレヴィ=ストロース「悲しき熱帯」。
ポルトガル、リスボンのカフェで読んだ「アルド・チッコリーニの自伝」
奈良で読んだJohn Williamsの「STONER」。
福岡で読み終えたダニエル・L・エヴェレット の「ピダハン 言語本能を超える文化と世界観 」。
宮城県で読んだミラン・クンデラの「不滅」 。
あるいは毎日の通勤電車の中で読んだ数々の本。メタ的な本でいえば島田 潤一郎さんの文字通りの「電車のなかで本を読む」だ。
挙げたらキリが無い。思い出深い行き先から、いつもの通勤の中でわたしは本を読んでいる。気づいたら、旅先に合わせて本を選ぶようになった。正解もないのに、あれこれと考えながら。
その問いはこうだ。
「この行き先、それにかかる時間に相応しい本は何か」
贅沢な問いだ。どんな記憶を自分に刻印するかという余興。基本的には家にいることを好んでいるのだが、上記の意味において出張や外出は大切な時間のひとつになっている。
物理的な旅と、精神的な旅を同時に行うこと。これが移動中に本を読むことの抽象なのだろう。
K

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